「捕虜になったジョージ・ワシントン」
ジョージ・ワシントンが初代大統領にえらばれたのは、独立戦争で植民地側の正規軍である大陸軍の総司令官として戦い、勝利してアメリカの独立を勝ち取った中心的人物であったからである。しかし、大統領への道につながる大陸軍総司令官に選ばれたのは、若き日のワシントンの敗戦と捕虜の体験がそのきっかけになったことは余り知られていない。
1754年の春、22歳のワシントンは、中佐として150人のヴァージニア民兵隊を率いてペンシルヴァニアの奥地、現在のオハイオ州ピッツバーグに向かった。前年、森林奥地を偵察したときにフランス人が入り込んでいるのを発見して報告したため、急遽派遣されたのである。この地はフランス人にデュケーヌと呼ばれており、砦はフランス軍に占拠されていた。ワシントンは砦を攻撃し、一部を捕虜にして奪還に成功したが、すぐにフランス軍に包囲され降伏した。
1年後には“フレンチ・インディアン戦争”が勃発する、英仏が険悪な関係の時期であり、フランス側にはこの青年士官を処分する理由も機会も充分にあった。しかし、当時フランスは啓蒙主義の時代であり、人間の理性に信頼を置く風潮が溢れていた。ワシントンは射殺を免れ、ヴァージニアまでフランス軍によって護送されたw。この事件でワシントンは宿敵フランスに挑戦した若き英雄として歓迎され、その後の彼の人生に大きな影響を与えたのである。“フレンチ・インディアン戦争”では、ワシントンはブラドック将軍率いる英国正規軍の副官に任命されて再びデュケーヌ砦に進軍したが、イギリス軍はフランスに敗れた。ブラドック将軍は戦傷死し、ワシントンは残った軍隊を引き連れて落ち延びた。
20年ほど後、1775年にイギリスからの独立を目指して独立戦争がはじまり、ワシントンは13植民地を束ねる大陸軍の総司令官に任命された。この時フランスは、イギリスに対抗する大陸側を支援していち早くアメリカの独立を承認し、1780年にはロシャンボー将軍率いるフランス軍がアメリカに上陸した。戦争の前半は、民兵軍の寄せ集めで正規の軍事訓練を受けていない大陸軍は、英国軍に対して苦戦を続け、敗戦を重ねた。その後、フランス軍の到着で勢いを盛り返し、勝利したのである。
1783年、独立戦争の天王山、ヨークタウンの戦いで米軍は仏軍の支援を得て英国軍を破り、戦傷は事実上終了した。
1787年、フィラデルフィアで開かれた憲法制定会議で議長を務めたワシントンは、満場一致で新しい憲法で定められた初代の大統領に選出されたのである。
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