「在任一ヶ月の大統領」
アメリカ人は何事にもレイティング、すなわち順位付けをするのが好きで、
歴代大統領の“偉大さランキング”を定期的に発表している。
数百人の学者へのアンケートを纏めたものである。
その中で戦後発表のものは時期を問わず第1位はリンカーン、
2位がワシントン、3位F・D・ルーズベルトであり、
最下位はハーディングとグラントになっている。
これらのアンケートでいつも評価の対象外になる大統領がいる。
9代目のウイリアム・ヘンリー・ハリソンと
20代のジェームス・A・ガーフィールドである。
在任期間が短くて評価出来ないからである。
W・ハリソンはヴァージニアの大農園主の息子として生まれた。
父は初代のワシントン大統領の親友で独立宣言にも名を連ねる
名家の出である。
陸軍に入ったハリソンを一躍有名にしたのは、
1794年に起こった「落木の戦い」であった。
合衆国政府軍の若き将校としてマイアミ連合
(オハイオ川流域のインディアン諸部族の連合)
を打ち破るという際立った成果をあげてためである。
この時、インディアン連合で目立つ活躍をしたのは、
後にショーニー族の若き首長になったテクムセである。
敗戦後、10数年をかけ、カナダからフロリダまでのインディアンの
大連合を呼びかけて組織化し、その最後の説得のために南部に出向いた。
その間にハリソン率いる合衆国軍が、テクムセの留守部隊を襲撃し、壊滅させた。
1812年に始まった米英戦争では、テクムセは英国正規軍の准将に任じられ活躍した。
ここでも彼の前に立ちはだかったのは米軍少尉になっていたハリソンであった。
最後を覚悟したテクムセは、英国将校の軍服を捨て、
インディアンの正装に身を固めて、宿敵ハリソンに絶望的な戦いを挑み、
銃弾に斃れたのである。
戦後ハリソンはオハイオ州で連邦下院議員、上院議員、そして南米コロンビアの
駐在公使などを歴任する。
1840年の大統領選にはホイッグ党から立候補した。
対メキシコ戦争を回避するため、テキサスの併合に反対して大衆に評判の悪かった
対抗馬のヴァン・ビューレンを破って当選した。
彼が68歳のときで、後にロナルド・レーガンが69歳で大統領になるまで、
最高齢の大統領であった。
当選で張り切った彼は、厳冬の3月の大統領就任式にコートも手袋もせずに、
歴代大統領の就任演説では最も長い1時間45分の演説を行った。
それがもとで風邪をこじらせて肺炎を併発して就任一ヵ月後に死亡した。
その結果、アメリカ史上初めての副大統領から第10代の大統領へ昇格したのが
ジョン・タイラーである。
尚、20代のガーフィールドは就任4ヶ月足らずで、ワシントン駅で暗殺されてしまった。
犯人は大統領選挙応援の見返りに官職にありつこうとしたがうまく職にありつけ
なかった失意の男であった。
タグ:アメリカこぼれ話