JN協会理事 北村 嵩 (元 JTB取締役)
「大佐ではなかったカーネル・サンダース」
カーネル・サンダースの像はファーストフードチェーン“ケンタッキー・フライド・
チキン”の店頭ディスプレイである。 1985年に阪神タイガースが日本一になっ
た時、喜んだファンが、活躍したバース選手に似たこの人形を胴上げして道頓
堀川に投げ込み、2009年3月に見つけ出されるまで行方不明であった。この像
は1970年に同社の日本法人設立時に、まだ消費者になじみの薄かったフライド
チキンのPRの為に店頭に並べたのが始まりであるという。
ランド・D・サンダースはケンタッキー州の生まれ
ではなく1890年にイリノイ州で生まれた。早くに父
親を亡くし兄弟の世話をするために働き始め、鉄
道の車掌、保険のセールスマン、 タイヤ売りなど
の職業を転々とした。16歳の時には軍隊に入隊し
たが在籍も短く、勿論カーネル(大佐)には昇格し
ていない。
1930年、ケンタッキー州コービンでガソリンスタ
ンドを開業し、その一角でドライバーやトラック運転
手のために食事を提供する小さなカフェを開き、メニューの中に、近所の人から
教わった圧力釜で調理したチキンを入れた。 南部ではフライドチキンは各家庭
で作られる、いわばお袋の味であり、サンダースはその後、様々なハーブとスパ
イスを混ぜた独特のレシピのフライドチキンを完成した。
大不況という時代で、新しいハイウエーの建設で車の流れが変わったこともあ
り、ガソリンスタンドの経営はうまく行かず、フライドチキンの調理方法だけが彼
に残された唯一の財産となった。このレシピを教える代わりに、売上高から一定
の歩合を貰うフランチャイズビジネスをはじめた。1953年、ユタ州に最初のフラ
ンチャイズ店をオープンし、家庭持ち帰り方式を採り入れてファーストフード業界
に革命をもたらした。
自身は軍の大佐でもなく南部出身者でもなかったサンダースは、フライドチキ
ンを売るために典型的な南部の紳士を装い、口髭、顎鬚を生やし、白髪を伸ば
した上で、白いスーツとストリングタイに身を固め、好々爺の恰好を演じ続けた。
「カーネル」の呼称は、 1935年、ケンタッキー州知事から与えられたもので、当
時のケンタッキー州知事が地域活動に特に貢献の高かった人物や政治家に与
えた名誉称号のようなものであった。 サンダースは受賞したことを喜び、以後
カーネル・サンダースと称するようになったのである。