2015年08月28日

8/28 アメリカこぼれ話37「誤訳が原爆投下を招いた?」


アメリカこぼれ話37
JN協会理事 北村 嵩 (元 JTB取締役)

「誤訳が原爆投下を招いた?」

 第2次世界大戦で、既にイタリー、ドイツが連合国に
降伏し日本の敗戦が濃厚となった1945年7月26日、アメ
リカ、イギリス、中国の三国はドイツのポツダムで宣
言を発し、日本に無条件降伏を迫った。

いわゆる「ポツダム宣言」である。

当時の日本は国民総動員体制で本土決戦に備えるべく
国民に呼びかけており、東条英機首相退任後の鈴木貫
太郎首相は、こうした国家的雰囲気の中で弱気な発言
をすることは不可能であった。

特に軍部は天皇制についての内容が不明確であるとし
て宣言の受諾に反対の立場を取っており、政府の最高
戦争指導会議では宣言を受諾するか否かで意見がまと
まらなかった。

結局、鈴木首相は和平の仲介を依頼しているソ連の出
方を待って最終決定しようと考え、「静観したい」と
いう内容を弱気でない強い言葉で表現して記者会見を
行った。

そのとき使用したのが「黙殺する」という言葉である。
この「黙殺」が外国に打電されたときに「ignore」つまり
「無視する」と訳されたのである。又、別の海外電報で
は「黙殺」を「reject」拒否と訳されたという説もあり、
いずれにしろこれらの訳語が連合国側の態度を硬化させ、
10日も立たない8月6日に広島に原爆を投下されることに
なったのである。

ポツダム宣言では、日本がこれを受諾しない場合「迅速
かつ完全な破壊あるのみ」と予告されていたが、その重
大さを十分に理解していなかったのだ。せめて「ノーコメ
ント」とでも訳されていたら連合国側の受け取り方も違っ
ていたかもしれないが、日本の首相がどのような思いを
込めて「黙殺」という言葉を選んだか、その微妙なニュ
アンスを連合国側に理解を求めるのは無理であった。

鈴木首相と日本政府が「黙殺」という言葉がどのような結果
をもたらすか考え、違う表現を使用していれば違う形の終
戦を迎えたのではなかったかと考えると複雑な感情が湧き
出てくる。

鈴木首相の発言は「ただ黙殺するだけである。我々は戦争
完遂にあくまで驀進するのみである」であった。

posted by JN01 at 13:02| 連載:アメリカこぼれ話