2017年08月28日

第136回観光立国セミナー開催のお知らせ

【 第136回観光立国セミナー開催のお知らせ 】

第136回観光立国セミナーの開催について
お知らせします。

10月開催の第136回観光立国セミナーは、
森本 昌憲 氏
(一般社団法人日本ホテル・レストランサービス技能協会会長)
を講師にお招きします。

演題は、「昔の凾根・今の箱根・コレカラのHAKONE」 〜箱根駅伝ウラ話〜

お問い合わせは、事務局
電話:03-5989-0902 担当 杉、堤 まで。
皆様のご参加、お待ちしております。

※JAPAN NOW観光情報協会ホームページ
の申込フォームよりお申込みできます。↓↓
http://www.japannow.org/index.htm

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日時:2017年10月13日(金)12:00〜(2時間程度)

場所:海事センタービル2階 会議室

会費(昼食弁当付):
【会 員】1,000円 (個人・団体)
【一 般】2,000円

※お問い合わせは
事務局:03-5989-0902 杉・堤まで
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posted by JN01 at 18:07| 観光立国セミナー

2017年08月25日

アメリカこぼれ話49「捕虜になったジョージ・ワシントン」

JN協会理事 北村 嵩 (元 JTB取締役)

「捕虜になったジョージ・ワシントン」

 ジョージ・ワシントンが初代大統領にえらばれたのは、独立戦争で植民地側の正規軍である大陸軍の総司令官として戦い、勝利してアメリカの独立を勝ち取った中心的人物であったからである。しかし、大統領への道につながる大陸軍総司令官に選ばれたのは、若き日のワシントンの敗戦と捕虜の体験がそのきっかけになったことは余り知られていない。

 1754年の春、22歳のワシントンは、中佐として150人のヴァージニア民兵隊を率いてペンシルヴァニアの奥地、現在のオハイオ州ピッツバーグに向かった。前年、森林奥地を偵察したときにフランス人が入り込んでいるのを発見して報告したため、急遽派遣されたのである。この地はフランス人にデュケーヌと呼ばれており、砦はフランス軍に占拠されていた。ワシントンは砦を攻撃し、一部を捕虜にして奪還に成功したが、すぐにフランス軍に包囲され降伏した。

 1年後には“フレンチ・インディアン戦争”が勃発する、英仏が険悪な関係の時期であり、フランス側にはこの青年士官を処分する理由も機会も充分にあった。しかし、当時フランスは啓蒙主義の時代であり、人間の理性に信頼を置く風潮が溢れていた。ワシントンは射殺を免れ、ヴァージニアまでフランス軍によって護送されたw。この事件でワシントンは宿敵フランスに挑戦した若き英雄として歓迎され、その後の彼の人生に大きな影響を与えたのである。“フレンチ・インディアン戦争”では、ワシントンはブラドック将軍率いる英国正規軍の副官に任命されて再びデュケーヌ砦に進軍したが、イギリス軍はフランスに敗れた。ブラドック将軍は戦傷死し、ワシントンは残った軍隊を引き連れて落ち延びた。

 20年ほど後、1775年にイギリスからの独立を目指して独立戦争がはじまり、ワシントンは13植民地を束ねる大陸軍の総司令官に任命された。この時フランスは、イギリスに対抗する大陸側を支援していち早くアメリカの独立を承認し、1780年にはロシャンボー将軍率いるフランス軍がアメリカに上陸した。戦争の前半は、民兵軍の寄せ集めで正規の軍事訓練を受けていない大陸軍は、英国軍に対して苦戦を続け、敗戦を重ねた。その後、フランス軍の到着で勢いを盛り返し、勝利したのである。
1783年、独立戦争の天王山、ヨークタウンの戦いで米軍は仏軍の支援を得て英国軍を破り、戦傷は事実上終了した。

 1787年、フィラデルフィアで開かれた憲法制定会議で議長を務めたワシントンは、満場一致で新しい憲法で定められた初代の大統領に選出されたのである。

posted by JN01 at 04:17| 連載:アメリカこぼれ話

2017年08月08日

アメリカこぼれ話48 在任一ヶ月の大統領

JN協会理事 北村 嵩 (元 JTB取締役)

「在任一ヶ月の大統領」

 アメリカ人は何事にもレイティング、すなわち順位付けをするのが好きで、
歴代大統領の“偉大さランキング”を定期的に発表している。

数百人の学者へのアンケートを纏めたものである。
その中で戦後発表のものは時期を問わず第1位はリンカーン、
2位がワシントン、3位F・D・ルーズベルトであり、
最下位はハーディングとグラントになっている。

これらのアンケートでいつも評価の対象外になる大統領がいる。
9代目のウイリアム・ヘンリー・ハリソンと
20代のジェームス・A・ガーフィールドである。

在任期間が短くて評価出来ないからである。

W・ハリソンはヴァージニアの大農園主の息子として生まれた。
父は初代のワシントン大統領の親友で独立宣言にも名を連ねる
名家の出である。

陸軍に入ったハリソンを一躍有名にしたのは、
1794年に起こった「落木の戦い」であった。

合衆国政府軍の若き将校としてマイアミ連合
(オハイオ川流域のインディアン諸部族の連合)
を打ち破るという際立った成果をあげてためである。

この時、インディアン連合で目立つ活躍をしたのは、
後にショーニー族の若き首長になったテクムセである。

敗戦後、10数年をかけ、カナダからフロリダまでのインディアンの
大連合を呼びかけて組織化し、その最後の説得のために南部に出向いた。

その間にハリソン率いる合衆国軍が、テクムセの留守部隊を襲撃し、壊滅させた。

1812年に始まった米英戦争では、テクムセは英国正規軍の准将に任じられ活躍した。
ここでも彼の前に立ちはだかったのは米軍少尉になっていたハリソンであった。
最後を覚悟したテクムセは、英国将校の軍服を捨て、
インディアンの正装に身を固めて、宿敵ハリソンに絶望的な戦いを挑み、
銃弾に斃れたのである。

戦後ハリソンはオハイオ州で連邦下院議員、上院議員、そして南米コロンビアの
駐在公使などを歴任する。

1840年の大統領選にはホイッグ党から立候補した。
対メキシコ戦争を回避するため、テキサスの併合に反対して大衆に評判の悪かった
対抗馬のヴァン・ビューレンを破って当選した。

彼が68歳のときで、後にロナルド・レーガンが69歳で大統領になるまで、
最高齢の大統領であった。

当選で張り切った彼は、厳冬の3月の大統領就任式にコートも手袋もせずに、
歴代大統領の就任演説では最も長い1時間45分の演説を行った。

それがもとで風邪をこじらせて肺炎を併発して就任一ヵ月後に死亡した。

その結果、アメリカ史上初めての副大統領から第10代の大統領へ昇格したのが
ジョン・タイラーである。

尚、20代のガーフィールドは就任4ヶ月足らずで、ワシントン駅で暗殺されてしまった。
犯人は大統領選挙応援の見返りに官職にありつこうとしたがうまく職にありつけ
なかった失意の男であった。

posted by JN01 at 19:18| 連載:アメリカこぼれ話